いじめ

いじめられるほうが悪いと言われる理由や原因は?責任はどのくらい?

いじめというのはいじめられる方にとっ
ては、死に等しいほどの苦しみのようですね。

実際に

いじめを苦にして自殺した子供も多数います。

いじめられる方にはなんの責任もないの
に、死を選ばなければならないというの
は本当に胸が痛いです。

ところが最近、いじめられる方が悪いと
言われることがあります。

しかし、原因や理由があるということと、

悪い、責任があるということは全く違います。

そこで今回は、いじめられる方が悪いと
言われる理由や、本当にいじめられる方
が悪いのかを考察してみました!

いじめられる方が悪いと言われる理由は

出典 マンガ画像は『Twitter』より

まず最初に、いじめられる方には

原因や理由はあります!

しかし全く責任はありませんし、悪くもありません!

原因や理由とは、なぜそうなるのかのわ
けや、その元になる事由のことを言います。

責任とは、

自分の言動の結果を自分で負うことです。

原因と責任は全く別の意味の言葉なのです。

『いじめられる側の原因』というマンガ
がツイッターに投稿されています。

作者はスルメロックさんで、いじめの原
因はいじめられる側にあっても

「いじめの責任はいじめられる側にはない」

というマンガなのです。

マンガを読んでいただければ、スルメロックさんの
考えはすぐ理解出来ると思いますので、説明は省略
します。

このマンガの言わんとしていることは、
私のいじめ感とまさにドンピシャなのです。

スルメロックさんに大賛同、座布団100枚!

ネット上では「とても納得がいく」、
「わかりやすい」といった声が寄せら
れているそうですよ。

はるかぜちゃんこと春名風花さんも
いじめについて発言しています。

いじめられる方にも原因はあるのかと
聞かれれば、それはあると思います
ツイッターに書いているのです。

そしてさらに、でもそれはいじめる側が
原因を相手の中に見つけただけ

だとも言っています。

はるかぜちゃんの論理もスルメロック
さんと全く同じですね。

理由・原因と責任・悪いは全くの別問題なのです。

いじめられる側の人には、ある種の特徴
があることがあります。

  1. 気がよわい
  2. 真面目すぎる
  3. 内気で消極的
  4. 協調性がありすぎる
  5. 慎重なタイプ
  6. みんなと同じことができない

これが理由・原因というものです。

気がよわく、真面目すぎて内気で消極的
しかも協調性がある子は

他人との争いごとを避ける傾向があります。

嫌なことをされても黙っている

ことが多く、いじめのターゲットにされやすいのです。

慎重なタイプの子は、なにをするにも
深く考えてから行動するため、反応が
遅くなりがちです。

それをバカにされていじめの対象と
なりやすいようなのです。

ここまでのいじめられる側の特徴は、

通常ならむしろ好ましい特徴

のような気がしますね。

しかし、その好ましいさもいじめる側には、
攻撃の対象にされてしまいます。

みんなと同じことができない子は、
「こんなこともできないのか」と

仲間はずれにされやすいのです。

仲間はずれはいじめの始まりなので、
やがて本格的ないじめの対象となっ
ていきます。

しかし、そのような特徴(理由・原因)
があるからといって、いじめられる側
に責任や非があるものでしょうか?

ある筈がありませんよね。

たまたま運悪く

そうなったというだけのことです。

運の悪さをその人の責任だ、非があると言えるものでしょうか。

当然責任も非もありません。

ですから、いじめられる方が悪いと言う
のは

論理的にも道義的にも大間違いなのです。

本当にいじめられる方が悪いの?

いじめの定義として、文部科学省では
このように定義しています。

「一定の人間関係のある者から、心理的
物理的攻撃を受けたことにより、精神的
な苦痛を感じているもの」

これを日本語に翻訳しますと、

いじめられる側が「いじめられている」

と感じれば、それはいじめになります、ということです。

また場所や人数も関係なく、精神的肉体
的苦痛を与えられたと感じたら、いじめ
になるのです。

さらには悪ふざけや喧嘩との違いは、
悪ふざけや喧嘩はほぼ対等な立場で行
われます。

しかし、いじめは

『いじめる側』と『いじめられる側』

という立場ができ、力関係にも大きな差があります。

もう一つ、喧嘩や悪ふざけは通常は一時
的なものですが、いじめの場合は

継続性があることも大きな特徴の一つです。

この継続性がいじめられる側に取っては
大きな苦痛となり、そのために自殺にま
で追い込まれたりすることもあります。

もし、いじめが一過性のものであったら

いじめによる自殺はほとんどないでしょう。

長期間、長時間にわたる精神的苦痛は、
それほど大きいのです。

単なる悪ふざけといじめを見分ける
ポイントは、以下のようになります。

反復性

嫌がることを、繰り返し継続して行なっ
ている。

故意

嫌がっていることを知っていて、
あえて行なっている。

同一集団内

いじめがほぼ特定の集団の中で起こっている。

傍観者がいる

1対1ではなく周りで傍観して見ている者がいる。

立場が対等ではない

いじめをしている側に、明らかに優位性がある。

いじめの行為としてはこのようなものがあります。

暴力

直接的暴力は、最近は比較的少なくは
なっていますが、なくなりはしません。

わざとぶつかられたり、トイレに閉じ込め
られたりすることもあります。

言葉の暴力

嫌なあだ名で呼ばれたり、下品なからか
いなど、これも多いです。

容姿への言及

デブ、ブス、くさいなど身体的特徴を嘲笑します。

これまたいじめの中でも受ける側には痛
いいじめですねる

持ち物などへの被害

教科書の落書きや上履きを隠されたり、これも多いですね。

シカト

仲間外れや無視などのいわゆるシカトです。

ネットを利用するいじめ

これが最近急激に増え、問題となっています。

LINEやツイッターなどのSNSで、悪口を
書かれたり、画像をアップするなどの
いじめが多いですね。

これらの行為をされている側に、
いじめられる方が悪いなどとは
誰も言えませんよね。

いじめについてはこちらの記事もどうぞ!

いじめられっ子の特徴や性格はどんなの?強くするにはどうする?

いじめられっ子の将来はどうなる?負け組にならないためには?

いじめの種類は?定義や対策を考えて自分を助けよう!

いじめはなくせないのか?

それでは、いじめはなくすことはできないのでしょうか。

文部科学省には

いじめの防止等のための基本的な方針

というものがあります。

その中でも予防教育は『学校が実施すべ
き施策』の1つとされています。

ある小学校では、DVD教材を使って

いじめ予防教育を行っていました。

その例として、SNSでのアイコンを自分の
顔写真にしていた少女がいます。

ところが、級友が勝手にコラージュ
(合成)を行い、それを拡散したのです。

教師は「誰の行為が一番悪いと思うか?」

と生徒たちに尋ねました。

教師としては、当然コラージュを作った者か、
それを拡散した者が悪いという意見を期待し
ていたのです。

しかし意外にも生徒達の大半は、

最初に自分の顔写真をSNSに発表した子

が悪いという回答をしたそうです。

その理由は、

意図しない使われ方をする可能性に考えが及ばなかった、本人の責任

というものです。

つまりいじめの被害者が悪いということですね。

いじめの原因はいじめられる側にあり、

いじめる側には責任はない

という結論です。

こうしてそのまま『予防教育』の授業は終わりました・・・

これでは『予防』ではなく『推進』教育ではありませんか!

実際にそのクラスではいじめが横行していたそうですよ。

しかも加害者たちは、

「自分達も被害を受けた」

と言い張り、教師の介入を困難にしていたそうです。

似たようなケースは他にもあり、この
学校だけの特異な例ではないようなのです。

このような例を見ますと、いじめの根絶
など不可能ではないかと、絶望的な感覚
さえ覚えてしまいますね。

もし、上のケースでも教師が練達の教師
であり、生徒達の裏の真意まで見抜いて
いたら、いじめは防げたかもしれません。

しかし、全ての教師にそれを求めるのは

無理難題というものでしょう。

というわけで、いじめを根絶することは
不可能でしょうが、少しでも減らすこと
はできる筈です。

それに向かって各人がいじめに対して目
を凝らし、注意していくよりしょうがな
いでしょう。

結び

どのように言おうとも、いじめられる方
が悪いということはありえません。

悪いのはいじめる方であり、いじめられ
る方ではないのです。

ただ、いじめられる理由や原因はありま
すが、それは悪いとか責任とかいうもの
とは全く違います。

原因や理由とは、なぜそうなるのかのわ
けや、その元になる事由のことです。

責任とは、自分の言動の結果を自分で
負うことです。

原因と責任は全く別の意味の言葉なのです。

いじめというのは、人間の心理の非常に
奥深いところに根ざしていますので、こ
れを根絶することは非常に困難でしょう。

できることは、少しでもいじめを減らす
よう、各人で努めるしかないのでしょうね。